昭和四十年四月 ?日  夜の御理解


  今日は久しぶりで久留米の櫛原教会におひき寄せ頂きました。手続き教会11ヶ所の教会が集まりまして総代の連合会の総代会が今日発会したんです。その名を松影会と、松の影 影は、おかげのかげではなくて日を書いた影ですね。という会が発足した訳です。そしてお取り次ぎを頂いて総代としての自覚にたち各教会総代会の結束につとめますと、いった様な事を今年もめざし、スロ-ガンとして信心をすすめていこうと、様々なその議事が進行しそれから教会の代表の方達があいさつそして感話 先生方の善導寺の親先生、【 】先生南久留米の先生と3人でございました。先生方3人のご挨拶やら東町の教話を頂いてそれからささやかでしたけれども祝宴がはられました。私もその中まで入らせていただいたんですけれども本当にああして時にでも頂きますと本当にどこかのはしばしに久留米の初代のお徳をしのぶ事ができます。本当に有難い。残っておる。お徳がまだ生き生きとして残っておる。そんなものを実感いたします。私は、あちらにつかせて頂きちょうど杉山さんがお参りをしてみえて帰りの車に便乗さしてもろうてあちらに送ってもらいまして、杉山さんもいっしょに来てくれましたから。「杉山さん、よおっと見とき、これが久留米の初代の一番全盛の時代に、隆々たるお徳の輝いとった時代にできたお広間。椛目の御造営もある事だし隅々まで見せて頂きなさい。」と私連れて見せてもらったんです。やっぱりよかったですねえ。本当に有難い事だと思うんです。それから御祈念をさして頂いてから今日おひき寄せ頂いた事を御礼申させて頂いておりましたら霊神様の親先生の御晩年の装束姿が霊舎の上にかかげてございます。御装束をつけられた、それをですねえ、その石橋先生のお写真にあるそれがですねえ、小さい小さいちょうど内裏様ですねえ。3月の節句にかかげるこのくらいのお雛様です。あのままの姿で小さくなった所を頂くんですねえ。石橋先生の信心といやあもう本当に美しさ深さ広さと「出過ぎもせずひっこみ過ぎもせんと石橋さんこそ真の人でしょうなあ。」と亡くなられた3代金光様がそういう言葉をもってまあ讃えられた石橋先生のご信心の豊かさ美しさ大きさという様なものがです、じゃなくてからこんなに小さく【 】上にもあげられるくらいな。その御装束姿を私拝まして頂いてあいすまん事じゃなあと私は、実は、心の中に思うたのでございます。私共が本当に石橋先生の信心を頂いて松影会という。影という字は、普通おかげのかげという字は、太陽の光にそのここにできる陰それから松影会の影は、その実体があって実体にうつる所の影だと、そういう意味でこの影がつかわれたという。名称のいわれをです。説明されましたけれども本当に石橋先生の信心が、もし一条のものならばです。ここに一条の陰が、現れておらなくてはならないのです。ところが私は、一条の陰が一層ぐらいになっておるという事です。おかげにおいてはです。全然そのいうなら面影がなくなっておるという感じです。だからこそ例えばこの総代会の発足ともなり本気で先生の信心を頂こうといった様なまあ意欲的な会になってきたのでございましょうけれども、私は、まあいうなら総代の親友であり初めてああいう会合にでらして頂いたのですからいうなら末席を汚したのでございますけれども次々立って話される方達の話を聞かせ頂いてから、もし私が立って話をするならどういう事を話すだろうかと自分で思うてみたんです。どういう様な在り方にならして頂いたなら石橋先生がお喜び下さるだろうかと私は、思うてみたんです。私は、思うですねえ。私は、親教会の事を一生懸命、自分の教会の事をいろいろ思いよるという先生方も信者もあります。もうあけてもくれても親教会の事ばかりと云われる先生方もあります。信者もあります。思いよるならばです。本当に思いよるならばです。自分の教会のです。自分の教会に自分の上にです。神様が私の事を思うておって下さらなければならないのですよ。実をいうと。私は、親教会に尽くしておるというならです。条件つきではもないけれども神様は、うちの事は、十分おかげを下さなければならん私の例をとっていうならばです。私は、親教会の50年の記念祭を迎えさして頂いた時に、もう私の心の中には、親教会100年祭の事もしきりに私の心いっぱいにひろがておりました。当時その話をすると馬鹿の様に人は云うけれども私の実感でございました。私が、93になる時が善導寺の教会の100年祭になるのです。ですから勿論100年祭の事を考えておるのですから、90年祭80年祭70年祭は、来年に迎える60年祭の事は云うにさらなりであります。思うとらん筈がありません。そういう例えば私が、思うておるとするならばです。本当にそれを神様がうけて下さるのならばです。椛目の事を神様がその思いで思うて下さらん筈がありません。石橋先生が仰られました。「私共の1握りはこれだけだけれどなあ神様の一握りとは、どれだけあるかわからん。」と仰った。私共は、一握りの事を親教会に対して思いを込めたならばです。神様の思いというものは、どれだけあるかわからんという神の一握りが現れておらなければ嘘なのです。もし現れていないとするならば、私は教会を思うておる。私はこげな御用をさせて頂きよるというてもそれは、不純なものがあると悟らして頂いてねえ。これは、私の思いは、まだ不純なものがある証拠であると悟らして頂いていよいよ自分を深めていかなければいけないという事。小倉の初代はある会合のおりに御神酒が出た。万座の【 】の先生方、当時のキラ星の先生方々がズ-と並んでおられる時にです。桂先生が石橋先生にむかって仰った。それは、もう本当にえげつない。いうならば酷な先生に対するお言葉であった。「石橋さんあんたの所は、こうこうじゃな。」と仰った。それこそ顔色かえて腹の立つ様な事を仰った。けれども時に、石橋先生がそれこそ顔色一つ変えられずに、「親先生っておかげで私は信心ができます。」と仰った。今の私共のいわば久留米関係の方達の信心の中にそれがかけておるのじゃなかろうかと、「おかげで信心ができます。」という事。個人の難儀、教会的難儀。例えば総代ともなれば教会的難儀に取り組まなければならない。その教会的難儀をです。その難儀を難儀として、自分の不審というものがです。これは信心がまだ足りんから、これは、まだ私の思いがたりんからだ。思いが不純であるからと悟らして頂いてその不純な思いをです。いよいよ純なものに美しい清らかなものに、迫力のあるものにさして頂く為に、いよいよ自分というものを掘り下げさして頂かなければならない。信心をさして頂いて例えば本気で例えば親教会の事を総代が思う。私は、50年祭に90年祭の事を一生懸命考えておった。私は、もうとにかく大変な感激を受けた。思うただけでも神様は喜びを送って下さるのに、真実その送って下さる喜びがです。私は、総代として御用になっていかなければならないのでありそうさして頂かなればおられんという事になってこなければならない。なんていうても総代は、まず教会長夫妻の信用を受ける以外にはない。それは、そのまま金光大神の御信用であり、ひいては、天地の親神様の御信用という事につながっておるものでなかなければ総代としての御用はできん。まず教会長先生の御信用を受けなければならん。いやうちのあの総代に任しておけば大丈夫といわれる様ないわば総代にならなければならないと、それとてもただ少しばかりの御用ができるから、お供えができるから信用されるのじゃない。その人の信心を親教会長先生から信じられる私共であり総代にならなければならない。じゃなかったら本当の総代の御用はできない。私がもし今日のその事で一つもし話せと言われるならこういった事を言っただろうと自分の心の中に描いてみたです。これは、どうぞ今晩の皆さん、御理解がわりに頂いて、私今日その帰りで思うた事そのまま皆さん心のうえに頂かれて、私は、本当にあけてもくれても椛目の今度御造営なら御造営の事を思い続けております。本当に純なもので思えば思うただけで神様は、感激をあたえて下さいます。その感激、その喜びをもって御造営なら御造営の事にあたらして頂こう。その喜びについてくるおかげをもって、それぞれの立場において御用させて頂く事になった時初めて、私は、本当のおかげを頂けるのだと感じるのです。とにかく総代としての御用御用と総代としての御用は、こうせなならん、ああせなならんと、例えば教えられた所でです。そうした所でです。又おかげを頂けるものではない。いよいよ例えば教会的難儀というものは、自分の事として、私は、あれこれと思わせて頂いておって、これは、私は、その考え方だと思いますけれども今朝がたから頂く御理解と照らし合わせてみてから感じたのです。こりゃ私は、久留米的難儀です。今日の総代会が11ヶ所の教会をもっていわばお広間を中心にして総代会、連合会が結戒された。別に役を一つ頂いておる訳では、ないのですけれどもです。その内容にあるもの、いわゆる教会的難儀ではなくて久留米の11ヶ所的難儀。ひいて云うならば久留米の出社関係全体におきる処の難儀、そういう難儀をです。私は、もう本当に自分1人のうえに、信心のうえにでも、ひっかるわせて頂く、誰も気づかない事だれも知らない事。今朝私御神前にでらしてもらいましたら、大黒様がですねえ袋を担いでおられる大きな袋に持ちかえられる処を頂いたんです。あの因幡の白ウサギに出てみえる処の大黒様なんです。いうならばお兄様方の荷物を背中いっぱいに担いでおられる大黒様なんです。いうならば私のお兄様ばかり先輩の総代さん。先輩のいわば先生。それは、いうならば雰囲気にすら出らない事なのでございましょうけれども、その【 】であるところの石橋先生の信心をです。私共の小さい決まりやら、例えばいろいろ小さい規則やらできておるのですけれども、そういう様なものにしばって、石橋先生のこういう限り無い美しい大きな豊かな信心をです。小さい玉串案の上にでもおかれる様なお雛様の様な信心にこまくしておる様な事は、なかろうか。石橋先生の信心のいわば内容を頂けばです。お取り次ぎを頂いて、道の教えをもとにして総代の御用にたたせて頂く事は、いよいよ私共は、道を道たらしめる。それ、は、いよいよ教えを本気で行じる事以外には、ないのである。そして神様の下さるところの喜び、その喜びをもって先生の御用にたづらわせて頂くという御用。そのためには、もちっとです。私は、豊かな大きなものでなからなければならんというふうに私は、感じた。ここの処は、言葉では、表現は、できませんけれども。いわゆるお兄様方の荷物がもしいわば久留米的難儀があるならばです。その難儀を1人でも担がして頂いておかげを頂こうと、そしてその白ウサギの救済に本気でつとめさせて頂こう。おかげで荷物をもたせて頂いたおかげで力ができた。その力をもって多くの難儀の氏子を助けられる力にさして頂きたいとこう思う。これは、私自身が思うてみたんです。一番肝心かなめなポイントになる所。信心は、その一番ポイントになるところが大事、たとえば信者としての御用、信者としての信奉者として在り方。信心がまず確立されて、信心に頂くところの信心の感動、喜び、そういうものが神様の喜んで頂く御用になってくる時です。いよいよ有難い事になってくるのではないかと、今日、私、松影会に出席させて頂いて、しかも本当の意味で末席を汚させて頂いてからそんな思いでいっぱいでございました。帰りましたらつかれて。行きも戻りも車で送って頂いておるのですからつかれるはずはないのに、もう実に疲れておる。今日は、そういうふうに私思うたその事がです。ははあ今日は、信心の思い、久留米的難儀といった様なものを私は、ひょっとすると私は、担いでおった様なところからこんなに五体がきついのではなかろうかという所まで考えた。けれどそのきつい程に通わせて頂く思わして頂くという事が神様にかよわないはずがない。又自分の力をうけないはずは、ないと私は、確信するのです。